「ゆーうーちゃーん。あーそびーましょー」 机に向かって作業をしていると、表から喧しい声が聞こえてきた。 いくら周りに家が少ないとはいえこんなことをするのはやめて欲しい。正直恥ずかしいし、田舎ゆえに程よく、 数十メートル離れているお隣さんにも普通に聞こえているのだ。こないだ近所のおじさんにからかわれて恥ずか しくなったものだ。…ていうかぶっちゃけこいつの家にまで届いているに違いない。それほど離れている訳でも ないのだから。 休日の朝からその声にげっそりとしながらも、階段を下りて玄関のドアを開ける。そこには待ち構えていたか のように堂々としている幼馴染の姿があった。 「……おい。頼むから普通にインターホン押してくれ。頭にひびくから――」 「あーゆうちゃんまた徹夜? お肌荒れちゃうよニキビ増えちゃうよ身体壊しちゃうよ」 お前は俺の保護者かと言わんばかりの台詞を玄関でマシンガントークの如く吐いてくる。とりあえずまずは上 がるか帰るかしていただきたい。 そんな俺の思いを汲んでくれたのか、おじゃましまーすと元気な声で家主を無視して家の中へ入っていく我が 幼馴染。……まぁ慣れたからいいんだけどさ。 「で、今日はどうしたんだ。残念だけど、俺は原稿がまだ残ってるからそんなに相手してらんないぞ。……そも そも眠いから昼過ぎまで、今から寝ようとしてたのに」 「んー、特に用事はないよー。どうせまた不摂生な生活してると思って来たらやっぱりその通りだったから。お ばさんはいつまで出張なの?」 「月曜だよ。明日まで俺一人」 俺の母は所謂シングルマザーというものである。いや、正確には10年ほど前までは父親がちゃんといた3人 家族であったのだが、不慮の事故によって父が死んだのでそれからはずっとこの調子である。 それからというものの、母は父が経営していた会社を継いで10年前からずっと小さな会社の社長を務めてい る。女だからと舐める事なかれ。自慢だがうちの母はそこそこ有名な大学を2回出ている。現役時代とその数年 後に。それを示すかのように、非常に賢いのである。なんというか、知性というか、仕事や生活をする上での賢 さというものがずば抜けている。……今この目の前にいる幼馴染と通じるものがあるのは気のせいだろうか。 ともかく、そのお陰でずっと父から引き継いだ会社を続けていられるのである。どうでもいいことを言うなら ば、昔よりも今の方が景気がいいくらいなのである。恐ろしい。 「そっかー。お、今日は珍しくちゃんと洗濯物干してる。お皿も洗ってるし、えらい! ゆうちゃんもやるとき はやるね!」 「さっき一息ついた時にやっといたんだよ。人を何も出来ない甲斐性なしみたいに言わないでくれ」 頭を撫でようと、手を伸ばしてきた彼女を華麗に回避して、ため息をつきながらも彼女に反抗する。普段なら そのまま、また俺をいじるのだろうが、しかし彼女は意外な方向へと話を持っていく。 「そうだねー、顔もなかなか、勉強もそれなりに出来る、家事全般はお手の物、そして同人誌で中学生にして既 に自分でお金を稼ぐ! スペックだけでいえばそこら辺にいる男よりもよっぽど出来た人間だよね! なのに彼 女がいないのは何故でしょうか!」 「答えはおまえが邪魔をするから。つーか変なほめ方するの止めて。むず痒い……」 むず痒いというかこっ恥ずかしいというか。普段あまり褒められる事の多くない自分にとって、こういうのは ……何というか、弱い。 「柄にも無く照れちゃってー。かーわーいーいー」 「うるさい」 でもやっぱり彼女はいつも通りだった。 「……とりあえず俺は寝る。眠気が限界だし。お前どうする? もう帰るか――」 「その点はご心配なく! お勉強道具を持ってきたので問題ないです!」 にっこりと笑いながら手提げのトートバッグを見せ付けるように掲げる。なるほど、何が入ってるのかと疑問 に思ってはいたがそういうことか。 「じゃあご自由にどうぞ。3時間くらい経ったら適当に起こしてくれ。起きなかったら3時まで放っといてくれて いいよ」 「なんだかんだで私に頼る駄目男なゆうちゃんかっわいー」 もう相手してられん。おやすみの一言だけをいい、階段を上って自室へと戻る。 部屋へと戻り、勉強机の上に散らばっていた作業道具などを直し、原稿をひとまとめにしたあとベッドへと腰 掛ける。 「で、だ」 一息ついて独り言のようにつぶやく。 「どうしてお前が俺と一緒に部屋まで来てるのかな」 「えっ?」 さも当然のように座椅子と折りたたみ机を取り出し、トートの中から勉強道具を取り出している彼女を視界か らはずしてため息をつく。ほんとため息しか出ない。 「え、だってゆうちゃん寝るんでしょ?」 「それでどうして一緒の部屋にいるんだって聞いてるんだけど」 「もしかして私をリビングに放置する予定だったの? えーひっどーい」 身体をくねくねしながら口に手を当てて駄目? とか聞いてくる。色気もクソも無い。 ……頭が痛くなってきた。こいつといると本当に精神が磨り減る。 「お前なぁ、仮にも思春期真っ只中性欲バリバリの男子中学生と、現在家族が他に誰もいない状態で同じ部屋に いる事にちょっとは危機感を持てよ」 「それくらいでゆうちゃんが襲ってきたらもうとっくに私の処女は散ってるよー」 あーもうやだやだ。この子やだ。 「はいはいさいで」 「む……そんなんだからゆうちゃんはまだ童貞なのよっ!」 ズビシッ、と音がつきそうな勢いで俺を指差すのだが、まぁその通りなんだが、…いろいろと気に入らない。 ……まぁ正直な話。俺が彼女に対しては好意を持ってるのは事実だろう。思春期としてそれなりに色目で見る 事だってあることはある。 だからといって彼女を抱きたいかといえばそれは話は別だろう。 幼馴染という言葉では足りないくらいにお互いの距離が近い。さすがに通帳の場所は知らないだろうが、印鑑 を置いている場所くらいは知っている仲だ。宅急便の対応なんざしょっちゅう。調味料の位置だって覚えてる。 そのうち歯ブラシを置きそうな勢いなのである。 何が言いたいかというと、彼女とはもう家族のようなものなのだ。しかしだからといって寝る時に一緒の部屋 に居られるのは困る。以上。 「あ、気にしなくていいよー。どっちにしてももう眠いんでしょ。気にしないでおやすみー」 …あぁ、俺はとても眠いのだ。今も眠い身体に鞭打って彼女と会話しているのだ。 彼女に文句を言おうとしたものの、しかしもう限界。寝る。掛け布団を被り、目を閉じる。 「…おやすみ」 小さく呟いたその一言に、彼女が笑ったような気がするが、もう意識は夢の中。…おやすみ。 「……」 目が覚めた。 枕もとの携帯で時間を確認すると今は3時の少し前。丁度いい時間に起きれたようだ。 半身を起こし部屋を見渡す。彼女は居ない。だが荷物は残っていることから、恐らく階下で何かしているのだ ろう。 まだ眠気が抜けきらない身体に鞭打って大きく伸びをする。そしてのろのろと身体を起こしベッドの脇で立っ たまましばらくぼーっと。眠くて動く気になれないが、ここで二度寝をしてしまうと完全にサイクルが崩れてし まうので起きねばならない。うーうー言いながら、まだしばらくボーっとしていると部屋の扉が開いた。 「うわっ、びっくりした。ゆうちゃん起きてたの。おはよー今ちょうど起こそうと思ってたとこよー」 手にはお盆。そこにはカップが二つと洋菓子がいくつか置かれていた。 「あーおはよう。眠いわ」 「おはよう。あ、机にあるノート除けてー」 彼女の声に反応してのろのろとだが動き出す。折りたたみ机の上に広がっていた勉強道具を最低限まとめて脇 に置く。 それを確認して彼女は机にお盆を置く。カップに注がれていたのはコーヒーだ。俺は紅茶派なのだが眠気を覚 ますには丁度いいだろう。 腰を下ろして彼女の向かいに座る。コーヒーをちびちびと飲みながら眠気を飛ばして頭を回復させる。 「寝てる間に何かあった?」 「んー、特に無いかなぁ。あ、そういえばゆうちゃんの携帯に何回かメールと電話が来てたみたいだけど」 言われて確認してみると彼女の言うとおり、リアルとネットの知り合いから何件か連絡が来ていた。大分眠気 が飛んだとはいえ、まだ完全に頭が覚醒した訳ではないので、あいまいな返事を返して後ほどまたちゃんと返信 することにした。 その後彼女と駄弁りながら勉強を教え、教えられというのを繰り返してふと時計を見るともう夕方。子供はそ ろそろ家に帰る時間だ。 「あ、もうこんな時間なんだ。ゆうちゃん今日の晩御飯はどうするの? もしよかったらうちで食べる?」 俺につられて時計を見た彼女が言う。 さてどうしようか。確かに今日は準備なにもしてないし、今から準備をするとなると少々時間がかかる。 …まぁ手抜きでいいのならパパッと作れるのだが、寝ていた為に昼を抜いている状況。出来るなら夕飯はちゃ んとしたものをがっつり食べたい。……というわけで。 「申し訳ない、よろしくお願いいたします……!」 お願いする事にした。彼女はにこにこと笑いながら彼女の親へとメールを送る。 「んじゃ英語終わったらうち行こっか」 「了解しましたお姫様」 二人で関係代名詞の英作文に苦労しながらも宿題と予習復習を終わらせ、軽く準備して彼女の家へと向かう。 その後の事はもういいだろう。ごくごく平和なヒトコマであったさ。 平和で平和で、本当に幸せな日々。ずっと続いていくと信じて疑わなかったそんな日常。それが崩れるだなん てことは考えられない。そんな事がもしあるのならばそれは……。