「腹減ったな……」
 独り言とともに壁に掛けられた時計を見やる。日付が変わって暫くしたところだ。
 この前に休憩したのが休憩が消灯喇叭が鳴る少し前、おおよそ1時間ちょっとは集中し続けていた計算になる。
さすがにこの時間まで仕事をしていると、空腹になるのは仕方のない話である。夕食を食べたのが午後六時前、
そこから六時間以上、水分以外を口にしていない。
「夜食でも作るかな……」
 日中ならば秘書艦に頼むような仕事も、課外であるこんな時間ではさすがに無理がある。今の時間に起きてい
るのは基地警備隊たる陸警隊と当直勤務者くらいだろう。そして残業をしている、提督たる自分。
 ため息を吐きながら、彼は立ち上がり傍らのボックスを開ける。
 普段、小腹が空いた時につまめるようにと菓子の類が常駐されているそれは、暇な艦娘が執務室に来た時に簡
単にもてなせる一石二鳥のものだ。しかも見た目はアンティークな調度品にしか見えなく、菓子類が入っている
ボックス部も知っている人でなければ開ける箇所すら分からないような、一種の隠し箱のようなものであるため
に彼自身も愛用している。
 その箱の中を漁り、奥に追いやられている目的のものを取り出す。
 それは袋タイプの即席麺。男料理の強い味方である。五つで一セットになってるうちの最後の一袋を取り出し、
給湯室へと向かう。
 鍋に水を入れ、火をつけて湯を沸かす。ぐつぐつ。水の量は多めがいい。袋に記載されている量の2倍以上を使
うのがより美味しくなる秘訣である。
 沸騰するまでの間に他の準備を怠ってはならない。これは時間との勝負でもある。
 まずは食べる器の丼だ。特にこれがいい、というものはないが、通常のラーメン用の丼よりも少し浅いものの
方が美味さを感じられるとは彼の持論。
 そこに即席麺についている粉末かやくを投入する。言い忘れていたが、彼個人の好みとしてはこの作り方では
しょうゆ味が良し。
 続けて温まりつつあるお湯をほんの少し、かやくを溶かせるだけの量を投入し、箸で軽く溶かす。次にするの
は味付けの追加だ。ごま油を主として、中華・韓国系の調味料を少し。今回は豆板醤と薬念醤、蕃椒醤をそれぞ
れ小匙半分ほどを加え、かき混ぜる。これでまず準備は整った。
 それと同時、湯が沸き上がり沸騰する。あわてて火を緩めて吹きこぼれるのを防ぐ。
 湯の勢いが再び強くなるあたりで、メインである麺を鍋に投入する。
 かき混ぜることなく、そのまま1分は放置する。不必要に麺を触らないのが重要なところだ。そして一分きっか
りで麺を裏返す。そこでようやく少しずつ麺をほぐしていく。
 おおよそ麺がほぐれたところでそこからまた一分ほど茹で続ける。この間は時折麺を箸で遊ばせる。本来より
も少し固めなところで茹で終わらせる。
 ざるを取り出し、麺をしっかりと湯切りする。濃い味を楽しみたいのなら、湯切りの努力は怠ってはならない。
湯切りを終えた麺をそのまま丼へと投入する。この時、勢いをつけすぎて丼に溶かしたかやくを撒き散らさない
ようにしなければならない。
 これで最後はトッピングのみだ。
 白ごま・ラー油を少々。キムチも欲しかったが、給湯室にそこまで求めるのは無理があった。そもそも他の調
味料なども彼自身がこの料理のためにこっそりと備蓄しているものだ。最後の仕上げに麺の真ん中に窪みを作り、
そこに卵黄をひとつ投入。冷蔵庫の卵ポケットには『使うな! 瑞鳳』との記載があったが、もちろん無視して
使う。提督特権だ。あとで謝って買い足せばいいだろう。
 最後に海苔をちぎって一振り。これで完成だ。
「出来た…出来たぞ……!!」
 深夜に食べるのはよろしくない要素を詰めに詰め込んだともいえる、その料理がついに完成を迎えた。
 インスタントラーメンをベースに作り上げた謹製油そば、冷めて伸びて不味くなる前に、どうぞ。
「さてと……」
 今すぐにでも啜りたいものだが、理性を以って我慢する。涎を飲み込みつつ、執務室へと足を向ける。
 料理という気分転換に加え、こんな美味しそうなものを作ってしまったのだ。さすがに気分が高揚するのを抑
えることは出来ないだろう。この鎮守府の食堂もそれなりに旨いが、やはり男はこういった身体によくなさそう
な、ジャンキーなフードを定期的に食べなければならないのだ。それでこそ、男のワイルドさを保てるのだとは
提督の持論。
 しかし、そんな鼻歌でも歌い始めそうな程に気分が上がった提督を執務室で迎えたのは、部屋の明かりだけで
はなかった。
「や、提督。夜遅くにこんばんは」
 昼間に会うのと変わりないような挨拶で迎えたのは、一人の艦娘であった。
「……」
 彼は固まった。まず今の状況に混乱し、言葉を続けられなくなった。次に手に持つ料理について、なんと説明
しようかと考えた。そして最後に隠し箱を平然と開けて中の菓子を貪っている現実に、何故この子がその秘密を
知っているのかと自問自答する。
「……。……よし」
 たっぷり10秒の沈黙の時間を経て、彼はようやく咳払いと共に復活する。
「おい川内、なんでいるんだ」
 軽巡洋艦は川内型の1番艦、川内が我が物顔でそこにいた。
 部屋の主たる彼が来てもその態度を崩すことなく、本来ならば彼が座るべき椅子に堂々と座り、机には菓子を
広げてもしゃもしゃと貪りついている。女子は深夜に菓子を食わないものじゃないのかと一瞬どうでもいい考え
が彼の頭に過ぎる。
「え、だって夜だし」
「夜戦はないぞ、寝ろ」
 艦娘たちの拠点となるこの鎮守府は他に比べれば随分と緩いものの、それでも立派な軍の基地である。いくら
この鎮守府に属する者であれど、こんな時間に堂々とほっつき歩いていいなどということはない。最悪、陸警隊
にとっ捕まえられて、彼が小言をもらう羽目になる。
「だって、明日は土曜日で休みだし」
「うちのカレンダーは月月火水木金金だよ」
 前時代の悪しき習慣をあえて出す。とりあえずどうでもいいが寝ろよと彼は頭を抱える。このやり取りをして
いる間、彼は川内の前に立ち続け、川内は椅子に座って菓子を貪るのをやめない。それにも頭を抱えたい。安い
駄菓子などもたくさんだが巧妙に隠してある、並ばないと買えない味に評判のある岡屋のカステラまで当然のよ
うに開封されていた。しかも完食。
 何しに来たんだと問いたいが、どうせそう聞いたところで答えなど出て来ないだろう。艦娘たちは基本的に自
由気ままだ。最低限の規律は守らせているものの、それ以外は提督の特権で制限を設けていない。下手にがちが
ちに規律で固めるよりも、自由にさせることでストレスを減らし、いざという時に本領を発揮できるようにと。
それが彼の方針であり、実際に彼の思惑通りに彼の艦隊は成果を上げていた。
 その方針も少し考えた方がいいかもしれないと悩む提督をよそに、川内を菓子を食べる手を止め、提督の持つ
器に目を遣った。
「ところで、提督が持っているそれ、なに?」
 ついに目をつけられてしまった。彼謹製の夜食、特製油そばに。
 提督として働いている今となっては昔に比べると活動量はかなり減った。とはいえども、もともと軍隊の人間
だ。食べる量は一般人に比べると十二分に多い。本来ならばこの油そばも2袋作ろうと思っていた。……食われて
しまうのか、俺の夜食が。彼の頭の中の警報が警戒灯を光らせる。
「俺の夜食だよ。夕飯から何も食ってないから作ったんだよ。気分転換がてら」
「へー、提督って料理も出来たんだね! で、何作ったの?」
 ようやく菓子を食べる手を止め、期待の眼差しで器を覗き込もうとする。意地悪というわけではないが、少し
身を引いて中身を見せない提督。ぷうと頬を膨らませる仕草に不覚にも少し可愛いと思ってしまった彼は、数秒
の間見つめ合うかのように顔を見合わせる。
「即席麺で作った油そばだ。味とジャンキーさについては結構な自信がある」
 勿体振るほどでもないので、そのまま机に置いて出来栄えを見せる。卵白と分けているうちに切れてしまった
のか、卵黄が少し中身がはみ出ているが逆にそれが食欲をそそる。
「……私が言うのもなんだけど、こんな時間にこんなもの食べてたら、身体に良くないと思う」
「全くもって反論できないが、正に本当にお前が言うなだな」
 手に持っているお菓子を指差しながら、器を再び手に取り応接椅子と机のセットのある方へと移動し、どさり
と座る。
 こちらに視線を送る川内を無視して合掌、いただきます。
 卵黄がこれ以上潰れないように気をつけながらよく混ぜて、まずは一口。
「あーうめぇ」
 期待通りの味。調味料が程よく刺激を与えながらも、白ごまとごま油によってそれらをうまく包み込んだ味は
豪快ながらも繊細さを持ったまさに美味の一言に尽きる。
「いーなー、私にも一口ちょうだい」
 眺めているだけであった川内がささ、と彼の対面へと移動し彼と油そばを交互に見やる。 
「これは、男の料理だ。よって、食べることが出来るのは男に限定される」
「なにその理論。訳わかんない」
 正直彼も自分で言っておきながら意味不明だった。なんだその理屈。それでも彼は怯まない。
「そもそもお前にその菓子を食っていいなんて許可を出した覚えはないぞ。急に来た知り合いにもてなす為の緊
急避難策だ。そんな勝手な行動をした奴に俺の夜食を食われてたまるか」
 度合いの違いこそあれ、規律を破ってもそこまで厳しく叱らない彼であったが、だからといって常識まで捨て
られるとさすがに今までの方針の是非を考えさせられる。甘やかしすぎたのか。そもそも良識はまだ残っている
のかすら疑問ではあるが。主に彼に対してのだが。
「ちなみになんでお菓子を食べているかというと、お菓子箱が開いてたから。まさかこんなところに提督がお菓
子を隠しているなんて、私も驚いたけどね」
 川内のその発言を聞いてはっとする。よくよく思い出してみろ自分と彼は自問する。果たして彼女の言うこと
は本当だろうか。几帳面が自分がまさか、開けっ放しにしてそのまま放置していただなんてことは、あり得ただ
ろうかと。行動をよくよく思い出してみる。隠し箱を開けてその奥にある即席麺を探し当てて、最後の一袋であ
ることを確認して小さなため息をついて……。
 そのままだ。閉めることなく、給湯室へ向かっていた。思わず頭を抱える。確かに開けっ放しにしていればバ
レてしまうのは仕方がない。うん、だから川内が悪いわけじゃないと納得しかけたところではっと気づく。
「そもそもお前がこんな時間に許可なくうろちょろしてんのが問題じゃねぇか!」
 つい声が大きくなってしまった。そもそも開けっ放しにしていたのも自分以外に起きている人などいないだろ
うという確信があったからだ。悪いのはこいつだ。そう勝手に結論づける。そして顔を上げると川内はいつのま
に掠め取ったのか油そばの器を自分の側へと寄せて、今まさに麺を啜ろうとしていたところだった。
 あ、という顔。両者とも間抜けな顔を晒したのは一秒も満たない時間。彼が何かを言おうとする前に、川内は
遠慮なく麺をすすり始めた。何気に勝手に卵も完全に潰している。
「んー、美味しいね、これ! たしかにこのジャンキーな味、あんまり食べた事ない味かも!」
 憎たらしいことをされた直後ではあるが、料理の味を褒められて悪い気はしない。しかも、これは彼自身でも
それなりに自信のある料理だから余計にそう思うわけである。少し表情を緩めたものの、勝手に菓子を食われた
件についてはまだ終わっていない。さてどんな罰を与えようかと考え始めたところで、そんな自分を無視してひ
たすら夜食の油そばをすする目の前の川内の存在を思い出す。
「……おい」
 いつまで食っているんだと目の前の少女に言う。当の本人はたっぷり二秒ほどぽかんとした表情を見せたあと、
笑顔で再び麺をすすり始めた。気づけば半分以上食べられている。
 薄々予感はしていたが、最早この油そばは自分のものではなくなっていた。食べれたのは始めの数口だけで、
あとはもう川内がほぼ食べ尽くしていた。そんな少しだけで腹の足しになるわけなく、むしろ少しでも腹にもの
を入れた所為で先ほどよりも空腹感が強い。彼はどうしようかと悩んでいたが、その日の夜食は諦めて仕事を片
付けることにした。どうせこれ以上やっても効率が悪くなっていくだけだ。仕事が多いとはいえ、これなら早起
きして朝にやった方がよっぽどいい。
 勝手に食え食い散らかせと川内に言い残し、執務机へと移動し、最低限やっておかなければならないものだけ
処理していく。
 その途中で深夜ゆえに抑え気味ではあるものの元気な声でご馳走様でしたの声を聞き、頭を上げずに手だけ振っ
て答える。
「せめて食器は自分で片付けろよ」
「もちろん!」
 自分が食べ散らかした菓子のゴミなども一緒に回収し、執務室から一旦退席する川内を横目で見て、彼はため
息をひとつ。
 自由奔放さは、まぁ慣れたといえば慣れた。着任当初は彼女ら艦娘たちに振り回されて胃薬が絶えない日々で
はあったが、今では良くも悪くも両者ともに図太くなった。今では最近で胃薬を飲んだのは、食べ過ぎで腹を痛
めた時くらいしか記憶がない。この現状を良しをするか否かはともかくとして、その変化によって運用効率が上
がったのは言うまでもない。そんな昔のことを少しだけ、思い出す。
 着任後最初期からの仲間である川内は、提督と艦娘という関係よりも仕事上の良きパートナーに近い。多くの
苦難を共有してきた故に、その信頼は篤い。二人とも、変わってないようで変わったのだろう。これまでの短く
ない日々はそれだけ濃いものであったから。
 最低限やるべき仕事が終わり、机の上を片付けていたところで川内が洗い物を終えて帰ってきた。夜も更けて
いるのに、眠そうな気配はない。
「とりあえず仕事は終わったからもう閉めるぞ。まだ外で何かするから警備隊に報告しとくけど、どうする」
「じゃー私ももう寝ようかなー。寝る前だけど美味しいものも食べれたし」
 俺は全く食っていないんだけどなと提督が独りごちる。残念で仕方がないが、悔やんでもしょうがないので切
り替えることにした。
「そうかよ。で、結局のところ。こんな時間に何しにこんなところまで来たんだ」
 電気を消して執務室の鍵を閉めながら最後に一番の謎を聞く。謎というほどでもないが、疑問は解決したくな
るのが人間の性。
「いや、本当にたまたま目が覚めただけだよ。散歩してたら提督の部屋の電気が付いてたから、ここまでやって
きた訳」
 そのあとは見たとおりだよと。
 答えに理由はなく、偶然が偶然を呼んでの結果。
 ため息の代わりに彼の腹が小さく鳴り、それを耳聡く聞き取った川内が軽く笑う。ため息をついて手に持つ帽
子で川内の頭を軽く小突く。
 二人分の足音が庁舎に小さく響く。揃わずとも、一緒に。
 長く、長く。


 

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