提督が死んだ。
 私がこの艦隊にやって来て463日。それは同時に司令官…提督がこの艦娘の艦隊の長として居続けた日数。
 短くはなく、しかし長くもない期間。それだけの間に多くの事があったが、もはやそれは過去の出来事。頭が
死んだ艦隊はその機能性を失い、もの言わぬガラクタ当然と化した。
 しかしこの国に、そしてこの世界に、艦娘という存在を無意味なものへと昇華させる程の余裕はない。
 私たちが止まっていた時間はほんの少しだった。涙が流れ、それが乾いて呼吸を整えるまで。それくらいの短
い時間。その間に『前』提督が作り上げたこの艦隊は、首をすげ替えて再び運用されることとなった。
 とはいうもののこれまでの戦いで失ったものは大きい。
 前提督の戦死が確認された時点でのこの艦隊に存在している艦娘は、最早数えられる程にまで減っていた。理
由は様々だが、とにかく云えることは即時運用を可能とするほどの数と練度はないという一点。しかし、かといっ
て余剰を他からこの艦隊に割く余裕も現在はない。それは人間も同じ事。
 故に一時この艦隊には長が存在していなかった。提督が居なくとも艦隊は存在していられるが、運用は不可能
だ。艦娘の艦隊というものは提督が存在して初めて機能する、非常に歪な統制機能が採られている。
 運用されない艦隊というものは悲惨なものだ。ただ存在しているだけ。理由を与えられない人生ほど、無意味
なものは無い。
 そんな中で一通の書類が我々の艦隊宛に届いた。外観だけでどこから送られて来たのか分かるその書類の中身
を、何故か私は大凡予想がついていた。第六感というべきものだろうか、それとも単純にそれが自然な形だから
だろうか。
 とにかく、開けられた書類の中身を精読し、理解し、大本営に今まで一度も口にしなかったくらい汚い罵声を
心の中で叫び、執務机に叩き付けた。
 前提督が運用した463日、そして空白の17日を過ぎて。再びこの艦隊は運用されることとなった。
 理由など知る由もないし知る気もない。ただこれが当たり前の流れであると思う程、自然に事が進んでいった
ことは確かだ。生き残っていた艦隊の仲間達はみな同じ表情をしていたが、それは私も同じだったかもしれない。
 理不尽と悦びと、ほんの少しの絶望と。
 そして私が『現』提督として、この艦隊の長となり艦隊は生き返ったのだ。

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 深海棲艦と戦う為の存在である私たちにとって、日々の時間の感覚というものは最早瑣末な問題であるといっ
ても過言ではない。常に最前線に居続けるストレスは、人間としての感覚を捨てさせるに充分なものであった。
 だからこそ、前提督と居続けた時間が果たして長かったのか短かったのかを判断する術を私は持っていない。
少なくとも無駄な時間では無かったことは確かであることはいえるのだが。
 昔のことに思いを馳せているうちにはたと気がついた。そうだった。もう私は艦娘ではなかったと。
 大本営から届けられたあの忌わしき書類のあとすぐに、私は艦娘としての機能を解体され、普通の人間へと戻っ
た。勿論、それは軍を退役する為ではなく、現状を更なる混沌へと追いやるためのもの。
 軍の中での新しい人生というものは中々に忙しいものであった。まず初めに行ったのは艦隊を運用するに充分
な数の艦娘を建造することであった。運用することが出来るとしても、今の艦隊には艦娘の数があまりにも少な
すぎた。主力の半数は前提督と運命を共にしたし、残りの行く末もあまり口にしたくはない。結果、以前の艦隊
の中でも主力級として扱われ、現在も艦隊に所属しているのは3隻しか居なかった。当然ながら彼女らを含めても、
艦隊運用にはまだまだ不安が残る構成。
 幸か不幸か、建造する為の資材で苦心することはなかった。資材倉庫からはみ出すほどに山積みされている資
材をこれ幸いとばかりに無心で消費していく。駆逐艦が増え、軽巡が増え、重巡がやって来て、そして時々空母
と戦艦がくる。
 練度はため息をついて目を覆いたくなるようなものではあるものの、そこはやはり数の暴力というものがある。
時間の許す限り、彼女達には訓練に励んでもらう事にした。皆が稚拙で互いに力を合わせる懐かしい光景に、思
わず涙腺が緩んでしまったのも今や懐かしいと思える話だ。
 艦娘にとって、そして艦娘を運用する艦隊にとっての唯一にして最大の仕事は襲いかかる深海棲艦との戦いに
尽きる。時には迎え撃ち、時には此方から攻めて行き、最低限、現状を維持しながらしかし着実にじりじりと攻
める。それが前提督の採っていた方式であり、それは私も同意していた戦法であった。
 喪うことを善しとせず、しかし臆病と罵られないための最低限の進撃。前提督は自身の艦隊に所属する艦娘た
ちを一個人として平等に扱い、決して"捨て艦戦法"と呼ばれる資源の無駄を肯定しなかった。それが後に私を苦
しめることになったのだが、これはまた別の話なので今は置いておこう。

 季節に一度程の期間でやってくる深海棲艦の大猛攻。私の覚えている限りでは5度、我々の艦隊で迎え撃った。
昨年の5月、8月、11月、2月、そして前提督が死ぬこことなったこの前の4月。
 それらが終わっても、深海棲艦の攻撃が終焉に向かうことはない。常に陸に向けて邁進してくる奴らを落とす
仕事は艦娘およびその艦隊に一任されている。今は一段落している状況ゆえに奴らの攻撃の手も少しは緩んでい
ると云えるだろう。その間に、せめてもの体裁は整えておかねばならない。いつ・いかなる時にも状況が開始出
来るようにするのが、軍人なのだ。物心両面の準備とはよく言ったものだ。
 秘書艦として働いていた頃の知識が非常に役に立っているのは確かだが、違う目線で見るとこの艦隊はこれほ
どまでに違った形で見えるものだろうか。この港はこれほど変わった形で見えてくるものだろうか。一つの報告
に前提督と共に一喜一憂していた過去。今は一人きりの執務室で、あの人が座っていた椅子と机を使って仕事を
する。慣れたといえば慣れた。違和感があるといえばそれもまたそうだと答える。
 変わっていく日常に慣れた自分と、何も変わらない部屋。変化し育っていく艦隊と、服装とその存在以外なに
も変わっていない自分。矛盾という言葉がふと頭の中に浮かんだ。

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 提督として働くことで尤も面倒だったのは、事あるごとに外部の人間と会わなくてはならないことであった。
艦隊に所属する艦娘であるうちは、艦隊内だけでその全てが完結していた。外に出る必要も無かったし大抵の場合、
出る余裕も無かった。ーー私の場合は人見知り気味の性格もあり、見知らぬ他人を顔を合わせるのがあまり好き
ではなかったというのもあったが。しかし運用する側の人間になった今、そんなこも言っていられない。
 艦隊の運用は艦娘と妖精さんたち、そして長たる提督さえいれば事足りるのだが、それだけでは長期の運用は
当然ながら不可能だ。システムの一部として存在している以上、外との繋がりを断ち切ることは不可能どころか
自殺行為にも等しい。挨拶回りから始まりあらゆる調整の為に奔走し、時にはこちらの主張を通す為に自ら出向
く。体力的には知れている仕事だが、様々な個人の思惑が渦巻く渦中に飛び込むというのは、戦闘とはまた違っ
た精神的なストレスを私の中に増やしていく。
 そんな中、私が提督として働いてからまず始めに驚いたことは艦娘は軍人ではない、ということだった。これ
にはさすがに私自身も驚きを隠す事が出来なかった。もっと踏み込んだ内容で云えば、書類上は人間としてすら
扱われていない事に最も驚いた。
 確かに軍に所属していながら艦娘たちに階級が存在していないのはおかしいのではと思ったことはある。軍属
であれば納得も出来たが、艦娘は最前線に立って戦う軍事力を行使する存在そのものだ。それが軍務を行わない
軍属である筈も無い。その疑問は気づけば頭から消え去っていたが、今こうして思い出してみるとおかしいにも
程がある話であった。
 しかし同時に納得した。我々艦娘たちが人間として扱われていないのであれば、確かに階級を付与する理由も
ない。ただの兵器として扱われているからこそ、扱う人間たる提督が居なければ、艦娘の艦隊は運用出来ない。
 理解し納得出来ることであったが腑に落ちない。我々艦娘の存在というものはそれ程軽いものであったのかと。
日本という故国を守る為に艦娘になった。命がけで戦った。そんな艦娘たちの扱いがこれかと。今更ながらに乾
いた笑いが出てしまう。
 しかし今の私は艦娘ではなく、元艦娘の現人間だ。提督として艦隊を運用している私には、幹部、士官として
の階級が付与されている。名実ともに人間であり軍人となった私は艦娘とは違う存在なのだ。自身の中に渦巻く
怒りは部下への思いによるものか、果たして自分勝手なものなのか。
 日は過ぎて月は過ぎ、ようやく艦隊の活気も昔に近づいて来た頃、私はというとすっかり提督業が身について、
着せられていた提督としての制服がすっかり似合うようになっていた。肩の階級章の星も気づけば増えており、
その間に艦隊の練度は見違える程になっていた。近海の防衛しか出来なかった初期とは違い、遠洋まで出ても全
員が戻って来れるようになったのはやはり艦隊の長として、感慨深いものがあった。
 記念に総出でちょっとした宴会を開いた。楽しかった。皆が皆酒に溺れる姿はいつぞやと変わらなかった。そ
れを俯瞰して見る自分だけが、変わってしまったように感じた。

 人の欲望とは斯くも似通ったもので無様で、そして滑稽なものかと嘲っていたのは最早過去の話で、それらを
理解して同意出来るように成る頃には自分は提督と呼ばれて人間であることに、何の違和感も持たないようになっ
ていた。そもそも元々人間であったのだからそれが当たり前の話なのだが、艦娘として生きていた頃の記憶とい
うものはあまりにも濃すぎて、一度の人生であったと思えるほどの密度を記憶の中に形成させていた。
 艦隊に所属する誰もが自分を提督として認識している。前提督の生き残りですら、そうなった。既に私が過去
に艦娘という存在であった名残はなく、艦娘を運用する艦隊の提督という自分としての自己が出来上がっていた。
 時間の変遷による様々な変化は私にとってどういう影響を与えているのだろうか。自分の事すら分からず、自
身に問いかけて答えを探す余裕などある訳もなく、日々の仕事に忙殺され、些事なことだと捨て置いた。
 提督として、艦隊の長の立場にある以上、常に艦隊の評価と自身の評価は連動する。最近の練度の向上により
全般的な評価は上がっているものの、釈然としないところがあるのも実際のところ。手放しで喜んでもいい程の
戦果を出しても、外部でそれがそのままの形で認められることは無かった。
 理由は大体察する事が出来るが、深く考えなかった。あまり考えてよいものでもない。
 いつだって人は出過ぎた杭を疎ましく思うのは当然のことだし、それに有刺鉄線が巻き付いているような危険
なものであれば誰だって近づきたくない。
 深海棲艦の台頭によって、艦娘の存在は人類の存続が掛かったそのものといってもいい。その役目を背負った
艦娘達は幼い少女の見た目とは裏腹に、恐ろしいまでの力を有している。そんな艦娘が何人も集まり艦隊を形成
する。そんな艦隊を取りまとめ、指揮を執るのが提督という立場の人間だ。
 上手く艦娘たちをやり込めれば、国そのものに叛逆を起こすことすら可能といえるような危険な存在。二次大
戦時の記憶を持っているといっても、その大本たる少女の部分の内面は見た目と変わらない。良いようにも悪い
ようにも、いくらでも利用することが出来るのは暗黙の了解だった。 そういうものを利用して、艦娘という存
在は成り立っているのだから、その力の矛先が自分たちに向かうことも当然ゼロではない。
 多くの人間の様々な思いがあるからこそ、艦娘たちを気軽に外に連れ出す事は出来ず、外部との窓口は実質的
に提督一本となる。そして艦娘たちに向けられる様々な感情エネルギーはそのまま窓口の提督へと向けられる。
 精神的には随分と苦労する仕事だ。
 勿論、艦娘として深海棲艦と戦っていた時もストレスは随分とあった。精神的にも肉体的にも。だが今の心労
はそれらとは全く異なるもの。一つ何かがある度にため息をつきたくなるような、そんな仕事。
 まったくやってられないな。
 一人きりの執務室でついそんな愚痴をこぼす。一所懸命に仕事はしているし、それなりの実績も積み重ねてい
る。勤務態度も艦隊全体を見ても悪い方ではないし、査定の面だけで見れば優良艦隊だ。
 しかしそれでも上からの評価はそうではないらしい。
 何かとどうでもいいことに口を尖らせ、重箱の隅を少しでも突こうと粗探しをする。それほどまでに艦娘とい
う存在が疎ましいかとつい口に出しそうになるが、そんなことをすれば被害は自分だけに留まらない。長たる私
は、大人にならなければならないのだ。
 文句も言いたくなるが、組織の体系のなかにあるということはつまりはそういうことなのだ。縦社会。お上の
言う事にはハイと答えるか敬礼を返すかのどちらかのみ。拒否権などない。歯車に組み込まれた以上、一人だけ
好き勝手などは出来ない。
 歯車のひとつとして、自分も綺麗に回ることで全体がスムーズに動くのだ。それは自分の指揮下にある艦娘た
ちにも繋がる。またため息が出てしまう。
 まだまだ仕事は終わらない。






 最近頭痛がずっと頭に張り付いている。
 疲労からだろうか。艦娘として生活していた時には無縁だった人間としての痛みという感覚に初めは一喜一憂
したものだが、今となっては憂鬱な感情しか湧いてこない。仕事の邪魔に他ならないし、何より自分が弱い、人
間という存在であることを思い知らされているようで余計に心が重くなる。人間に戻っただけなのに、そんな事
で喜んでいた自分が阿呆らしいと今となっては思う程だ。
 薬を飲んで誤摩化し、無理矢理仕事に集中することで痛みと重みを忘れ、そう慣れるように今まで以上に仕事
に打ち込むようになった。頭痛を忘れるため、そして艦隊の為にと自分に言い聞かせて来る日も来る日も同じよ
うに仕事を続ける。
 頭痛が頭に張り付くのが当たり前になり、その重さにそろそろ慣れ始めて来た頃だろうか。艦娘であった時の
元同僚である重巡の一人が私に向かって言った一言は、その後もずっと忘れられなかった。
 昔の提督と、同じ顔つきをしている。
 それを聞いたときは顔が引きつり、乾いた笑いを抑えることが出来なかった。湧いて出てくる感情は言葉で言
い表すことは難しかった。嬉しかった訳でも、悲しかった訳でもない。その他別の情動が湧いてきたということ
でもない。それらが消え去り、そして混ざり合ったような奇妙な感覚。自身の乏しい語彙では到底言い表す事の
出来ないモノ。
 同じ手法を取り入れつつも、あの人とは違う道を往くと決めていた自分の努力を砕かれたようにも感じたから
だろうか。それとも、自身が提督という役職に慣れきってしまったからだろうか。
 答えが出る事はなく、しかしそれを悩みとすることも出来ずに頭の隅に残しながらも普段は忘れ、同じように
仕事に打ち込む日々が続く。頭痛は、まだ消えていない。

 ある時懐かしい顔ぶれに出会った。前提督時代の艦隊の生き残りだ。
 思わず顔が綻んでしまった。提督という立場に変わってからは努めて表情の変化を乏しくしていた私だが、こ
の時ばかりは昔のように少しだけ表情豊かな自分に戻っていた。
 度重なる深海棲艦の猛攻。上からの更なる進撃への重圧。
 前提督時代の末期から最期というものは、今から考えると成るべくして成った、必然の結果であるとさえいえ
るものであった。艦娘を喪うことを善しとしなかった前提督時代で、最期以外でほぼ唯一といってもいいくらい
に轟沈艦が存在していた時期。
 この頃から、前提督はもしかするとその先の未来が大凡予想がついていたのかもしれない。徐々にではあった
が建造や開発の頻度が下がり、解体や転籍で艦隊の保有艦数が減っていった。
 その頃には秘書艦であった自分もほとんど理解していた。負け戦がある。それは現状か、はたまたこの先か。
詳しいことは分からなくても、それだけは理解出来ていた。しかしそれでもあの人は諦めることはしなかった。
被害を最小限に抑える為に戦力として期待出来なかったり、提督の思惑によって戦闘に参加させていなかった艦
娘たちはせめて少しでも長い人生が歩めるようにと、解体して退役させたり、勢いのある他の知人の艦隊へと籍
を移したりさせていた。積極的に、消極的な艦隊の自己防衛と云うべき状態。上に見つかってはならぬと、細心
の注意を払って行った。
 最期には艦隊に所属している艦娘というものはもはや数えられるくらいになっていた。昔からの顔ぶれや飛び
抜けた能力を持った艦娘。その全員が言葉にされなくても理解していた。近いうちに終わりが来ると。
 そして最期の出撃があった。珍しく、この時はあの人も一緒に出撃した。何故だろうかと一瞬考えたりもした
が、後になって考えてみれば自然なことなのかもしれなかった。優しい心を持ったあの人は、艦娘たちだけで沈
ませる訳にはいかなかったのだろうと。
 この時、何故か私は出撃を許可されなかった。それどころか艦隊の編成にすら入れてもらえなかった。この時
ばかりは激しく抗議した。誰も口にはしていなかったが、この艦隊の運命というものは誰もが理解していた。だ
からこそ、残されるのは何よりも辛いし理不尽であったから。最初期から共に作り上げたこの艦隊に惨めに生き
残っていろというのかと。
 何を言っても私の言葉が通る事はなく、この先は、既に語った通りの話だ。
 最期の事は話題にはしなかった。ある種の禁忌といえるものだ。彼女がそれについてどう考えているかは分か
らないし、向こうも私が考えていることは分からない。そして最期まで艦隊に所属しておきながら生き残ってい
る自分の事をどう思っているのか、知りたくもないことは触れないのが最善ではなくても、次善であることには
変わりない。
 幸せな時代だった昔話に華を咲かせ、似合いすぎる程に身体に合ってしまうようになった詰襟の制服をからか
われ、この時ばかりは他の事を忘れられた。しかし既に昔とは違い、自分たちの立場は変わりすぎていた。片や
艦隊の長たる提督、片やほぼ無関係といえる艦隊の艦娘。ずっと昔のようにしてはいられない。最後に別れると
きは彼女に敬礼を返す、これだけのやりとりで、変わってしまった現状を噛み締めるには充分だった。

 身体の不調に対して最早なんの感情も湧かなくなってきた頃にはようやくというべきか、少しずつ余裕が出来
ていった。悪い意味ではなく、良い方向に向かっているからこそのもの。
 しかしそれと同時に忘れていた頭痛がぶり返す。ずきりと痛み、頭を重くさせる頭痛は貼りついて離れること
はなく、ずっと私を悩ませる。薬で誤摩化すのも限界があり、少しずつ、また頭痛が日常へと台頭していく。
 頭痛独特の痛みは負の感情を膨れさせ、良くないことを考えさせていく。それはよくないことだと自分に言い
聞かせて、なるべく頭の隅へ隅へと追いやるものの、気づけば追いやった先にその姿はない。
 仕事に集中し、何事にも本気で取り組み、些細なことにさえ真摯に取り組む。
 そうでもしないとやっていけなかった。身体を蝕むあれやこれはそんな無駄な努力をしている私を嘲るかのよ
うに、私のなかにどんと居座っている。
 そんな時にふと、頭に思い浮かんだ疑問がある。
 前提督――自分にとっての提督である彼女――は何故死んだのか。
 死因は分かりきっている。危険な海域に艦娘と共に出撃し、敵の攻撃を受けてそのまま海に沈んだからだ。
 しかし知りたいのはそういうものではない。whyの問いにhowの答えは要らないのだ。必要とする答えはwhatな
のだから。
 最初期からの前提督を知っていた自分にとって、あの最期の行動には疑義を呈せざるを得ない。
 生というものを何よりも大切にし、生きていることの大切さと素晴らしさをいつも艦隊の艦娘たちに説いてい
た。艦娘として前線に立つからこそ、自身に宿った生命を無駄にしてはならぬと毎回のように言っていた。少し
でも怪我をすれば撤退を提案し、大怪我をして帰れば目に涙を浮かべて飛んでくる。そんな、優しさの固まりの
ような人であった。
 そんな提督だったからこそ、私は彼女を誰よりも心から信頼していたし、あの艦隊に尽くそうと努力を重ねて
いたのだ。
 直接全員に聞いた訳ではないが、恐らく多くの艦娘が私と同じであったに違いないとは思う。艦隊に所属する
ほぼ全ての艦娘からの信頼を得ていた点でも、彼女は非常に優秀な提督だったのだ。
 優しくて、愛情があって、しかし時には厳しく指導もする。自分の立場よりも、艦隊に所属する艦娘たちのこ
とを気にかける、そんな人であった。ちょっとした事でも全力で解決しようと走り回っていた。そんな彼女だか
らか、外に出る度に帰って来た時には疲れた顔をしていた。詳しくは聞かなかったが、なるべく彼女の疲労が取
れるようにと努めていたことは覚えている。今となってはどうして彼女があんな表情で帰ってきたのか、大体の
想像がつくし、恐らく似たことを既に私も何度も経験している。
 彼女の良いところを挙げればキリが無い。他の艦隊の現状も知るようになった今、余計にそう思う。あれほど
までに自身の艦隊の艦娘に真摯に向き合っていた提督は自分を含めていないと思う。それほどまでに提督は、彼
女は、素晴らしい人であった。
 だからこそ、余計に分からないのだ。自身の指揮下にある艦娘たちを妹や娘のように思い大切にしていた彼女
が、どうしてあの様な最期を迎えたのか。自身の命も含めてその大切さを説いていた彼女がどうして軽々しく多
くの命を手放したのか。
 この問いはずっとあった。ただ頭の隅に追いやっていただけで、意識的無意識問わず、考えなかったことはな
かったと思う。
 彼女と同じ立場に立った現在なら少しでも分かるかと思ったが、やはり分からない。答えの出ない芒と状態が
余計に頭痛を強くさせていく。
 考えても考えても答えは出ない。あの人の考えることなど、所詮元艦娘の私では分からぬものなのかもしれない。
 1年以上あの人の秘書艦を努めていたが、自身の心の闇を隠すのはとても上手い人だった。艦隊の中でも一番彼
女と時間を共にしていたという自負はあるが、それでもあの人のことは分からないことが多かった。人前で弱音
を吐く事なんて無かったし、それどころか暗い表情など片手で数えられるほどしか見ていない。
 提督として有能であり、仕事人としても優秀ではあったが、一種の仕事中毒のきらいがあったことは私も薄々
と感じ取っていた。何かから逃れるように、仕事に打ち込んでいる姿は傍から見れば取り憑かれているかのよう
にも見えて、私はその度に休みをとる事を提案していたが、彼女はその勧めに首を縦に振ることはなかった。
 今の私は少しだけそんな提督に似ている気がする。それを思うと、少しだけ彼女に近づけたような気がして、
笑みがこぼれるのであった。艦娘として生きていた時はとても主力には加わることの出来ない、非力な駆逐艦で
あった。艦隊戦では活躍出来ないからこそ、秘書艦としてせめて最大限の援助をしようと自分なりに努力してい
た。その努力がこうして今の自分の糧となっている。提督と少しつながっているような気がして、これはこれで
また嬉しくなるのであった。

 そんなある時、昔の提督と同じ顔つきをしていると私に言い放ったいつぞやの重巡が、躊躇いがちに私に言葉
を放った。
 いまのあなたは怖い。
 思わず笑いが出てしまった。元駆逐艦で、今や非力なただの人間である私を、艦隊戦の華である重巡が恐ろし
いというのだ。可笑しいにも程があった。久しぶりに腹の底からの笑いを提供してくれたその重巡はやはり私の
事を、バケモノでも見るかのような目で見ていた。
 他の誰もそんなことを言わなかった。何がどう怖いのか。理解に苦しむことを言うものだと早々に記憶の彼方
へと飛ばした。さして問題のある発言ではない。処分に値する発言でもなし、私はその言葉の存在自体を無視す
ることにした。

 仕事に慣れて、余裕が出来たといっても、提督としての仕事が楽になることはない。
 艦隊の運用には常に不安と恐怖が付き纏うし、外に出れば一騎当千の具現たる艦娘が集う艦隊の扱いの難しさ
と立ち位置の微妙さが、艦隊の外交役たる私の身にそのまま降り掛かるし、艦娘という存在に対する謂れの無い
嫌みや陰口、嫉妬や畏怖が感情の波として私を襲うのだ。
 それらの多くは常に消えないストレスとなって既に頭痛として私の日常を犯しているし、頭痛だけでは収まり
きらないストレスは次第に私の精神を侵していく。それを自覚出来たのは、随分後になってからのことだったが。
 つらいと思った事はないが、仕事の邪魔となるそれらはいつも疎ましく思っていた。なるべく忘れようと集中
したり薬を飲んでいても、気づけばそれらはひょこひょこと私の視界へと入り込んでくる。本当に、厄介なものだ。
 何よりも鬱陶しく感じたのはどういう訳か、いつの間にか朝に一番症状が重くなるということだった。朝起き
た時の気分を言葉で表現するのは難しい。その癖窓から見える景色が暗くなる頃には少しばかりマシになってい
るのだから、眠って朝が来るのが本当に疎ましく感じてしまうのだ。しかし寝なければこの身体は持たない。徹
夜を続けても問題ないと言えるほど頑丈な身体ではない。
 しかしそういった心労は少しずつ別の時間も蝕んでいき、私は常に身体の不調と戦わねばならぬ状態となって
しまっていた。
 こんな状態になったところで休めるほど、世間さまは私と艦隊に甘くはない。一週間の予定は当然の如く、月
月火水木金金であった。
 だがそれも別に悪いものではない。休みがあると、逆に調子を乱されてしまい、今のところなんとか保つこと
が出来ている体調を崩しかねない。今体調を崩して指揮を離れると、どこの馬の骨とも知れない輩がこの艦隊を
奪いに来る可能性も全く無い訳ではない。疎ましく思いながらも、この艦隊の力を欲して自分のものにしようと
している輩は少なくない。
 そういう輩から艦隊を守るのも、また提督の仕事なのだ。私の提督はそうして私たちを守ってきた。提督亡き
いま、現提督である私がせめてその遺志の欠片でも掬いとらねば、彼女の死は本当に無駄なものとなってしまう。
 彼女に少しでも近づくため、彼女の作り上げた艦隊に少しでも追いつくため、私は常にこの艦隊の長として、
提督としてより効率的かつ快適な艦隊の運用、それぞれの艦娘の練度の向上を常に意識し、より良い方法が見つ
かれば実践するという毎日を繰り返していた。
 起床ラッパが港に鳴り響く頃には執務室での勤務を始め、消灯ラッパの合図で仕事に一息入れる。そんな毎日
も提督の事を思い出せば、そしてこの艦隊があるべき姿を思い浮かべれば苦になることはなかった。頭痛や身体
の不調も、ただのノイズとして我慢することが出来た。何もかも私の尊敬し、愛する提督が作り上げたこの艦隊
を失わないように。彼女との繋がりを残しておく為に。それが、私が提督になり、そして続けている最大の理由。






 そうして私が艦隊の長たる提督という立場に就いてから季節が一巡した頃。
 どこで聞いたのか記憶が定かではないが、唐突に提督の話を耳にする機会があった。
 艦隊の中で私よりも提督のことを知る人間はいない。故に外部で聞いた話なのだろう。多忙に繁忙、仕事に忙
殺されるような忙しさの中で小耳に挟んだ程度であり、詳細はあまり覚えていないのだが、記憶からなんとか掬
いだしてそれを咀嚼してみると、どうやらその話は提督の身に関することであった。
 ゆっくりと思い出していくにつれて、どうしてこんなことを記憶の隅に追いやったのかと自分を責めたくなる
ような、驚愕の内容がそこにはあった。
 前提督たる彼女も、昔はまた艦娘であったという、それだけを聞けば噂話のようなつまらない内容だ。
 しかしその内容を吟味することが必要と判断する程度には、真実味を内に含んでいるものであった。
 艦娘しかいない艦隊内での生活に慣れてしまっていた艦娘時代には気付けなかったことだが、よくよく考えれ
ば彼女の頑強さや艦娘に対する理解というものは、ただ優秀な提督であるというだけでは説明できない点が多々
あった。しかし過去に人外の存在であったという経歴があるとすれば、それも納得がいく。
 その答えを理解した瞬間、私は安心感と理解不能な感情に包まれた。
 わたしと、提督は同じ存在。まったく同じ経歴を歩んできた。その同一性が私の中に生まれた時、嬉しさと同時に
わたしはあらゆる事を唐突に理解した。
 なぜ提督は私たちに常に優しくあったのか。なぜ提督は私たちと様々な苦楽を共に出来たのか。なぜ提督は提
督であったのか。
 その謎に対する答えの全ては今の自分にあったのだ。何もかもを理解した私は、しかしそれでも彼女に対して
の感情は変わらなかった。変わるはずもない。彼女がたとえ何者であろうとも、私の中の提督という存在は不変
のものであったから。いついかなる時も、私を支えてくれた私の提督。あぁ、彼女がもっと近づいた。
 その後も特に大きな変化はなく、いつも通りの生活が私の日々を光陰矢の如しと言わんばかりに通り過ぎていっ
た。
 頭痛は張り付き、体調は常に悪い。身体は自分のものではないかのような重さと違和感が絶えることのない、
そんな日常がずっと続いている。変化のない日常はある意味では望むべきことでもあるし、ある一点ではさける
べき状況でもあったが、私は現状が十分よいものであると感じていた。
 艦隊には大きな変化もなく、ひたすらいつも通りの日々が過ぎていくばかりであった。
 深海棲艦との戦いは変わらず続き、そのために艦娘たちの練度向上の為に訓練を続ける日々。そんな彼女らが
生きやすい環境を作るために鎮守府の外では精神をすり減らしながら時には頭を下げ、時には断固たる態度で意
見を通すために奔放する。
 艦娘たちへ接する自分と鎮守府外での自分との違いが同一性の保持を放棄させるような違和感を生み続けるが、
この苦しみこそが、提督が提督たる所以であり、彼女もきっと苦しみ続けていたのだろうと思うと、辛くとも、
耐えることはできた。
 ただ少し思うのは、この苦痛から逃げ出せることが出来るのなら、この苦痛から開放される術があるのなら、
それはもしかするととても素晴らしいことなのかもしれないと。ふと気が抜けたときに少しだけ考えることがあった。

 そんな毎日が続くと思われたが、世の中の事情というものは一刻として同じ時はなく、再び深海棲艦の大猛攻
があった。奇しくも私の鎮守府外での多忙と重なり初動が遅れた結果、艦隊に少なからず被害が出てしまった。
 幸運にも轟沈は無かったものの、艦隊が完全に元の様に運用できるようになるにはいま少しの時間を必要とす
るものであった。
 鎮守府内では艦娘たちへの心身両面からの援助を行い、鎮守府の外ではまだ多忙な期間が続いておりあらゆる
機関へ出向いて諸処の用事を終わらせなければならないという、今までにない忙しさが私の許へやってきていた。
 忙しいからといって失敗をすることは許されない。失敗は場所を問わず、我が艦隊の危機へと繋がる。そんな
ことはあり得ない。
 常に結果として残るのは作戦成功、勝利の文字のみ。敵に奪われたものは奪取して取り返す。軍に所属するも
のとして当たり前のこと。
 しかしそれも楽ではない。未だ艦隊の完全復帰はならず、主力艦隊の一部は航行不能なまま。準主力や艦隊に
は加わらずとも、練度の高い艦娘たちをなんとか運用して敵の猛攻を凌いでいる現状。
 辛くはないが、苦しいのが正直なところだ。守るだけなら何とかなる。しかし大本を断ち切らなければ、この
猛攻は終わらない。しかしこちらが打って出るには主力の準備が侭ならない。
 そうしているうちに問題の無かった主力の一部にも被害が出始め、少しずつ艦隊は劣勢へと傾きかけていた。
 勿論負けることはない。彼女が作り上げたこの艦隊で、そして私がそれを引き継いで育てたのだ。決してその
ような結果に向くことはない。しかし現状、厳しいのは事実として存在している。

 傷つくことを恐れ、沈むことを恐れ、仲間を失うことを何よりも恐れた彼女の艦隊運用。彼女の艦隊を引きつ
いだ私は、方針を同じくし、なるべく小さな負傷でも努めて撤退させるように指示させていた。傷を負うという
ことの痛みと沈む可能性を孕む恐怖というものは、私自身が何よりも理解していた。
 今もその方針は変わらない。負傷の大小はあれど、傷ついた艦娘は徐々に艦隊の中に増えていく。単純に、修
理が追いつかない。
 このままでは、艦娘たちを傷の癒えぬまま再び海に出すという暴挙を採らなければならないことになる。それ
は、許される行為なのだろうか。
 私は悩んだ。彼女の艦隊の方針を曲げることに。私が引き継いだ艦隊を真に私の艦隊として運用して良いのか。
 今の鎮守府はすべての部門が全力稼動しており、息を吐く暇が無いほどだ。この均衡を崩して敵に一矢を報い、
体勢を変えていくには、ひとつの決断を要する訳である。その決断には大きな勇気が必要となる。その勇気は公
私両面からのもの。
 提督として、充分な成功を収めているげんざいの運用方法を変更することによって発生する混乱を果たして収
めることが出来るだろうか、というもの。
 そして前提督の遺志を受け継いだ人間として、彼女の痕跡をこの艦隊からまた一つ消すことによる自分自身の
心情を肯定出来るだろうか、というもの。
 是か非か。悩む時間を待つだけの余裕は現状にない。考える時間は、ない。
 ならば、私が採るべき方針はーー。

 苦しくとも、心が痛んでも、どれだけ鎮守府そのものの機能が限界に近づいても、私は振り返る事をしなかっ
た。どれだけ、その決断に対する異議があろうとも、あらゆる文句がでようとも。
 一つの決断によって今の私は支配されている。
 一つの目的の為に今の私は動いている。
 この艦隊を何としても守り抜く。艦隊の存在が彼女の痕跡である以上、私はこの艦隊を失うことを良しとしな
い。何があろうとも、私はこの艦隊を守り抜く。それが私という個人の何よりもの願いであり、私が憎き大本営
の命令に従った理由の全てだ。この決意は固く、何人たりとも侵す事の出来ない私の金剛石よりも堅い意思。
 艦隊の長として見るべきは目の前のげんじょうだけでなく、その先に何を得るかという長期的な運用だ。何が
あろうとも、最終的に艦隊に益があり、有利な方向へ持っていくのが私の仕事。その過程に何があろうとも、そ
の過程で誰かがおもうところがあろうとも、それは、提督たる私には関係のない話だ。ただ結果を出す。それだ
けのこと。
 艦隊を守り抜く。その為には防御を固めているだけでは意味が無い。攻撃に転じ、突破口を見つけ出さねばな
らない。
 馬鹿みたいな数の深海棲艦が近くまで攻めて来てもそれは対処できる。しかしそれを突破することが面倒であ
り、むだな消費につながる。結局のところ、地道な作業ではあるが、出会った敵を全て排除していく位の気概を
持ってこちらから攻めていかねばならない。そのために必要な措置を、採っただけのこと。
 それから少し時間は掛かったものの、鎮守府近海およびその周辺まで攻め込んで来た深海棲艦はすべて撃破し
た。しかしそれで終わりではない。ようやく準備が終わったところといってもいい。次は、大本を叩きに行かな
ければならない。
 ここからが本番だ。今までとは比べ物にならない程の激戦は予想に難くない。しかしだからといってここで怖
じ気づいてしまってはだめなのだ。自らの葛藤を、そして決断を無為にしてしまう。自らきめた事に対して自分
が責任とかくごを持たねばどうするというのだ。彼女はこの重さにずっと耐えてきたのだ。責任の重さと精神的
重圧に。

 進め進め。我らの勝利のために。
 見せてやれ、我らの覚悟とそのちからを。
 結果としての残るのは我の勝利という事実のみ。それいがいは存在しない。存在させるわけにはいかない。
 進め進め、艦隊のために。彼女から受け継いだこの艦隊が生き残るために。
 見せてやれ、わたしの受け継いだ艦隊の力を。この艦隊が如何に素晴らしいか、如何に強力か、如何に華麗か。

 勝つ為に。

 いつぞやに考えていた疑問が唐突に再び頭に浮かんで来た。
 何故私の提督は死んだのか、という疑問だ。
 そういえば、あの時の提督も今の私と似たような感じだったような気がする。
 深海棲艦の猛攻、それを凌いで敵の泊地へと攻め込むための段取り、しかし思う通りにいかない進攻。
 まるで首をすげ替えてあの時の状況を再現しているかのような錯覚すら感じてしまう。馬鹿みたいだが、そう
いう錯覚はきらいじゃない。私が、あの人と同じ、になっているのだから。
 なぜ彼女が死んだのか、未だにその答えは分からない。分かるときはもしかすると、一生無いのかもしれない。
彼女は彼女で、私は私。どれだけ彼女に憧れようと、私は私でしかないのだから。彼女になる事は出来ない。
 それでも、彼女に近づく事は出来る筈じゃないだろうか。そう思って、私はいつも努力してきた。この艦隊然
り、私自身の提督としての在り方然り。
 少しでもあの人の在り方に近づく事が出来れば、何か分かることがあるのではないかと、そんな幻想を抱きな
がらの無駄に終わるかもしれない努力。そういった類の努力は怠らなかった。外面だけ似せたところで、内面ま
で似ることはないと分かっていたが、それでもやらずにはいられない。そうしてずっと続けてきた。その努力の
成果かただの時間の流れによる変化か、ほんの一部は彼女のことがわかったような気がしている。
 だが、それでも一部だけだ。
 まだまだ分からないことばかりで、そしてその問いが明かされることはこの先一生ない。それでも、私は追い
求める。あの人を。あの人が遺したこの艦隊と共に。

 誰かが私は頭がおかしくなったのかと聞いてきた。一体なにを言っているのだろうか。理解に苦しむ。私はつ
ねに変わらぬ、この艦隊の提督であると。
 私が私であることに変わりはなく、その在り様にも変化はない。つねに変わらない生活が私の前にあり、常に
変わらない艦隊が私のぶたいとして存在している。
 ついこの前まで全力稼働していた鎮守府も、いまは一息つける程には静かになった。
 誰もが慌ただしくうごいていたあの時に比べると、私の心の内は随分穏やかなものだ。
 私を蝕んでいた頭痛なども今は少しばかり落ち着き、心身ともに余裕のある状況が出来た。身体の調子に気を
使わなくていいというのはこれほどまでに楽なものかと水平線を眺めながら考える。
 今、艦隊は先日までとは比べものにならないほどにいい状態にある。そして状況もこちらに利がある。これを
逃すてはない。
 攻めるしかない。いま、攻めるのだ。
 例年よりもはげしい攻撃に少しばかり時間を取られてしまったが、それももう終わる。
 目的を達成させる為にはこの好機を物にしなければならない。艦隊の為、勝利を手に入れるのだ。
 これが最後の戦いになるだろう。ならば、私も往かねばならない。
 艦娘としてではなく人間として、提督として、あの日以来初めて私は海へと降りた。あぁなつかしきかな大海
原。私はかえってきた。
「さぁ深海棲艦たち、私たちの本気を見るのです」
 うみの魔力にみちびかれるように、私は羅針盤がしめす方向へと艦隊とともに進んでいく。
 鎮守府を離れ、奥へ奥へ。遠くへ遠くへ。
 一面が水平線になっても私たちは羅針盤が示す方向を疑う事無く信じて進む。その間に幾度も深海棲艦との戦
闘があったが、我らの艦隊に隙は無し。その度に撃破し更に深層へと進撃していく。
 敵の本拠地たる泊地へ近づくほどにその攻撃は激しくなる。さすがに無傷ではいかない。しかし問題はない。
最後の最後に主力が全力を出すことが出来ればいいのだ。そのために普段は遠征や護衛任務などに従事させてい
る主力艦隊以外も支援艦隊として同時に出撃させている。
 一筋縄ではいかないのは最初から承知している。攻略が簡単ならばここまで苦労していない。しかしそれでも、
だからこそ私たちはこうして進撃しているのだ。
 戦って勝利する。そのために存在しているのだ。艦娘は。提督は。我々はその為だけに存在しているのだ。だ
からこそ、無駄な撤退はしない。進め、進むのだ。我らが艦隊の勝利のため。
 人間として海に出るのはこれほどまでに恐怖があるのかと、荒くなる呼吸と身体の震えを努めて見せないよう
にしながら進撃のための指示を続ける。そういえば、自分を苦しめていた頭痛や体調の悪さというものが気づけ
ばほとんど消えてなくなっている。
 敵の攻撃もいよいよ形振り構わずといえるようなものになってきた。いよいよ近づいてきている。その実感は
ある。しかしここに来るまでの消耗は少なくない。
 普段ならば撤退していてもおかしくない。だがそうするつもりはない。何故ならば、それが私の決断だから。
加えて今回の作戦では特に撤退は許されない。奇襲がこの作戦の成否の多くを担っている以上、撤退してしまえ
ば意味がない。そしてそれよりも大きな意味を持つのは、彼女の方針からの脱却、独立というもの。
 少々沈んだところで、進撃の手を緩める訳にはいかないのだ。
 艦娘たちが如何なる感情を私に持とうとも、沈んでいこうとも作戦のため、そして私の為に進み続けるのだ。
たとえ旧来の友人が沈もうとも、私が傷を負おうとも。

  戦場は人を変える。それは戦場の特別な雰囲気と重圧、ストレス、それらによる精神的な消耗に因ると云われ
ている。人を変えるが艦娘は変わらない。艦娘が変わらない状況でも、人は変わってしまう。
 提督が、彼女が、何故死んだのか。彼女は戦死したのではなかった。自ら、死ににいったのだ。こうして最期
に理解できた。
 海の軍人として最期は海で死にたかった、戦いの中で死にたかった。などという理由ではない。ただ、死にに
行った。それだけのことだったのだ。そこに理由はない。ヒトはいつかは死ぬのだから死ぬ。それくらい、何の
変哲もない理由で死んだのだ。変哲もない理由で死んだ。
 そういうことだったのだ。私はようやくその問いの答えを得る事が出来た。そこでふと考える。
 私は彼女と同じ道を進んできているのだ。そしていま、ここにいる。
 それを、理解した。






 ここは、海の底なのだろうか。
 暗く、寒く、何も無い。

 目が慣れてきた頃、ふと目線の先に人影を見た。もしかして、あそこにいるのは提督じゃないだろうか。わた
しの、いとしの、ていとく。
 彼女の周りには懐かしい面々もいるじゃないか。もう長く会っていない輝かしい昔の同僚たち。

 そうか、そうだったんだ。こんなところに皆いたんだね。
 海の底で迷子になっていただけなんだ。
 でもようやく見つけたよ。大丈夫、もう昔の私とは違うから。こころも、からだも、ぜんぶ強くなったよ。
 さぁ、一緒におかに帰ろう。みんなでかえれば、またたのしい日々をすごせるのだから。

 

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