そろばんを弾く。計算に計算を重ねる。
 出てきた結果に愕然とする。
 まさかそんなことはないだろうと少しばかり時間をおいて、もう一度そろばんに向き直り、再度計算をする。
 ……やはり先ほどの計算に間違いは無かった。
 この結果に愕然としない人間はいないだろう。
 少なくとも、自分と同じ立場に立たされてこの現実を目の当たりにして、何も思わずにいられる人間がいると
は考え難い。
「はあぁぁぁ……」
 思わずため息がでる。ついでに頭も抱えたくなる。
 分かっていたと云われれば、たしかにそうであるのだ。冷静に頭を働かせれば、分からない話ではないのだ。
 しかし少々の予想外という要因によって、まさかここまで計算に齟齬が出てしまうのは、いささか問題ではな
いのだろうか。
 今はまだ大丈夫だ。とりあえず、なんとかなるという状況だ。胃が痛くなるにはまだ早い。
 なんとかなっている今のうちに対策を練らねばならない。
 さもなければ、この先に待っているのは……、考えたくもない未来だ。
 どうも考えが悪い方向に引っ張られてしまう。深呼吸して落ち着こう。
 そしてもう一度目の前のそろばんで弾かれた結果と、隣の書類を見合わせ、見比べる。
 やはり、現実は何も変わっていない。
 目の前にあるものこそが、真実であり現実だ。
 頭を抱えたくなる。というかすでにその姿勢になっている。
「資材が、足りない……」

 資材が足りない。
 それは司令部どころかこの鎮守府そのものの危機といってもいい。
 艦隊の運営が侭ならないのは勿論のこと、艦の新規建造や兵装の開発も出来ないということだ。
 何をするにしても、資材というものは必要になる。しかしその資材が足りていない今、この司令部で出来るこ
とといえば、机上の空論の如く艦や兵装の設計図を作り眺めることと、出来もしない任務による資材報酬の皮算
用くらいであった。
 どういう形にしろ、しばらくの間はまともに動く事は出来ないだろう。日々の資材の収入を考えれば、せめて
1日、出来ればあと2・3日は安静しておきたいところだ。
 もともと業者から仕入れることの出来る資材の量は限られている。毎日毎日仕入れてはいるものの、このご時
世だ、やはり充分な量を手に入れられているとはいい難い。
 それは他の地域も同じであるので、その点について文句をいう事はできない。むしろ途切れることなく毎日資
材を仕入れる事が出来ている業者に感謝しなければならないくらいだ。しかしだからといってそれだけで満足は
出来ないのだ。艦隊を動かすには、特に空母や戦艦のような巨大な艦になると、それ相応の資材が必要となる。
 だからこそもっと資材が必要なのだ。しかし足りない。
 それは分かっている。業者から仕入れるだけの量では限界があることは。ならばこの鎮守府が独自に仕入れな
ければならない。
 私が動かせる艦隊は現在のところ全部で3艦隊。最近の功績によってもうひと艦隊任せられるのも時間の問題
であろうと云われているが、それはまだ先のことだ。どちらにせよ、今私が動かせるのは主力部隊の第一艦隊、
遠征や護衛任務に就く第二・第三艦隊の3艦隊だ。
 これらだけで、この資材不足の状況をなんとかしなければならない。
 主力部隊の第一艦隊は動かすだけでも大量の燃料を必要とする。交戦がなくとも破損しなくとも、燃料だけで
主力艦隊としてそれ相応の消費を要する。故に誠に遺憾ながら、第一艦隊にはしばらくの間待機令を発令してあ
る。出撃さえなければ日々の維持にかかる資材の量は微々たるものだ。これでなんとかなるはずだ。
 そして第二・第三艦隊だが……。資材を運ぶタンカーの護衛任務をやるのが、資材を得るにあたって手っ取り
早い方法の一つだが、何ぶん時間も掛かれば失敗する場合もある。無事に艦隊が戻って来たとしても、タンカー
を襲われて肝心の資材を手に入れることが出来なければ意味が無い。修理や補給で資材を無駄に消費するだけだ。
 資材不足のこの現状、やはりどうしようもない。
 積極的打開策としては、赤字を覚悟であらゆる方面で資材を調達すればいいのだが、何ぶんその失敗を恐れな
いだけの資材の量がない。もしある程度の失敗が続けば、それこそ今後の艦隊運営が行えなくなる程だ。
 ならばどうすればいいのか。
 あまり採りたくはない選択肢だが、やはりここは静観するのが一番なのではないだろうか。
 待っていても業者からの仕入れで資材は手に入れる事が出来る。数日待てば、ある程度の艦隊運営をこなせる
だけの量は手に入れることが出来るはずだ。
 それを待つべきか、攻勢に出るべきか……。
「はあぁぁ……」
 思わずため息が漏れてしまう。
 艦隊の運営で、艦隊自体に問題がなくなったと思えば、次は資材に方に問題が来る。あちらが立てばこちらが
立たず、といった具合だろうか。全く、一つの部隊を運営するのは大変なものだ。
「失礼します。提督さんにお手紙が……って元気がありませんね、大丈夫ですか?」
 背もたれに身を預けて天井を仰いでいると、執務室に戻って来た秘書官が少しばかり驚いた様子で声を掛けてくる。
「あぁ、気にしないでくれ。自身の艦隊運営の稚拙さと、現実の非常さを噛み締めているだけだから」
 ため息をつきながら書類を受け取る。侭ならない現状は、どうしようもないのだ。
 艦隊が出撃出来ないからといって、艦隊の仕事が全くない訳ではない。演習や遠征などで鎮守府から出なくと
も、仕事はたくさんあるのだ。主に書類を処理するという仕事が。
 うだうだ考えていても仕方がない。決断をして、とっとと行動を始めないと。
「よし、全艦隊に連絡。本日と明日は出撃・演習・遠征は中止だ。明後日以降に関してはまた明日連絡する。以上」
 了解しました、とひかえめながらも元気な声で返事をした秘書官は、そのまま執務室を出て本部棟を後にした。
 待機して静観すること。これでまずは目前に迫った資材不足の最低限は解消される見込みになる。今日これか
ら運ばれてくる資材と、明日の分で、急場を凌ぐには充分な量が運ばれる計算になる。上手くいけば、建造分ま
で捻出出来るかもしれない。
 しかし焦ってはいけない。そもそもこの状況に陥ったのは、後先考えずに出撃を繰り返し、そして艦の新規建
造や兵装開発をずっと行っていたからだ。ちょっとばかし余裕が出来たからといって、そんなことをすればこの
状況になるのは少し考えれば分かるはずであったのに。
 誰も指摘しなかったという責任転嫁をするのも悪くはないが、それはさすがに人として何かを捨ててしまうよ
うな気がしてしまうので、落ち着いてその選択肢は放棄する事にしよう。提督たるもの、常に部下の模範たらな
ければならないのだ。
 さて、相も変わらず皮算用になってしまうが、今日と明日で得られる資材の量を試算して、これからの艦隊運
営の計画を立てねば。
 まずは入渠している艦だが……たしか赤城と千歳以外はもう修理が終わっているはずだったな。修理に要する
資材の分はすでに確保しているので計算する必要はなし、と。ここの試算は後だな。次は補給だけど、ここも問
題ないな。艦隊が帰還してまず初めに補給させるように指示しているからここも現在の不足分は無いはずだ。い
つもと同じ分を後で回しておけば問題ないだろう。
 となると、やはり問題は新規建造か。新しく艦を作るのだから、どうしても必要な量は莫大なものとなってし
まうのは致し方ない。駆逐艦や軽巡のような小型艦ならばともかく、空母や戦艦クラスになると最早その量は考
えたくもない程だ。重巡洋艦でもそれなりに負担になるのだから、全く…新しく物を作り出すというのはいつだ
って大変だ。
 ……やはり、新規建造はここしばらく抑えるべきか。戦力増強には欠かせないが、それで資材不足が続いてし
まっていてはたとえ強力な戦艦を建造したとしても、宝の持ち腐れとなってしまう。やはり物事の比重というも
のを無視してはいけないのだ。
 建造さえしなければ、出撃分でここまで資材が枯渇することは滅多にないので、恐らくしばらくの間は問題な
く艦隊運営を行えるだろう。
 はぁ、まったくこんな簡単なことを思いつくまでにこれほど時間がかかるとは。提督としてこの鎮守府に着任
してからしばらく経つが、経験が足りていないのがこういうところで出てきてしまうな。もっと精進せねば。
 とりあえず、資材不足の問題はこの位で問題ないだろうか。……よく考えてみれば、元々建造しすぎたからと
いうのが大きな理由のような気もするが、それはまぁ置いといてだ。この先戦力を増強していくにあたって、資
材の運用を見誤れば今回の様な出来事が起こるのは最早日常茶飯事になってしまうだろう。いや、もっとひどい
事になるかもしれない。それを避ける為に、これからも精進していかねばならない。
 必要な時に必要なだけ資材を捻出出来るよう、これからも一部隊の長として艦隊が自由に動ける環境を作って
いかねばならない。
 これからの私の腕が試されるのだ。……なんとも、気合いの入る事である。艦隊の為に、是が非でも頑張らな
ければならない。
 さて、それでは出掛けるか。我が艦隊の未来の為に。

 

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